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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)522号 判決

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 薬師寺尊正

被控訴人 乙山春子

右法定代理人親権者母 乙山花子

右訴訟代理人弁護士 今川一雄

同 大嶋匡

同 濱田安宏

右訴訟復代理人弁護士 田中薫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二、被控訴代理人は、その請求の原因として、

1  被控訴人の母乙山花子(以下単に花子という)は、美容師として美容院に勤めていたものであるが、昭和四二年八月頃控訴人と知り合って交際を始め、結婚することを約束して同年九月頃から情交関係を結ぶようになった。

2  その後控訴人はしばしば花子宅を訪れて寝泊りする等して花子との情交関係を継続し、その結果花子は妊娠して昭和四五年九月一五日女児である被控訴人を分娩した。

3  花子は、被控訴人を懐胎した当時控訴人以外の男性と情交関係を結んだことはなく、被控訴人は控訴人の子である。

4  よって、被控訴人は控訴人に対し、被控訴人が控訴人の子であることを認知することを求める。

と述べた。

三、控訴代理人は、答弁として、

請求原因1のうち、控訴人が被控訴人の母花子と知り合って交際を始め情交関係を生じたことは認めるが、その時期は判然としない。控訴人が花子と結婚を約したことは否認する。

同2のうち、控訴人が花子宅を訪れたことがあること及び花子が被控訴人主張の日に被控訴人を出産したことは認めるが、控訴人が花子宅に寝泊りしたことは否認する。

同3は否認する。花子の言動、控訴人の花子との情交関係時における体験からすると、花子には控訴人以外の男性との性的交渉が相当あったと思われる。

と述べ、さらに、

花子は、本訴提起と同時に、昭和四八年一月二九日自ら原告となって控訴人に対し貸金・慰謝料等三一七万円請求の訴訟を東京地方裁判所に提起(同裁判所昭和四八年(ワ)第五八七号事件)したのであるが、控訴人は同年三月一三日花子と話し合い、その結果両名の間に、花子が右貸金・慰謝料等請求事件については原告本人として、また本件については被控訴人の法定代理人として、控訴人から一〇万円の提供を受けることによって両事件を解決し、両事件につき訴を取下げる旨の合意が成立し、控訴人は即時花子に一〇万円を支払い、その証として花子が乙第一号証(領収証)及び同第二号証(示談書)を作成した。右合意は本件については花子が被控訴人の法定代理人としてしたものであるが、被控訴人が控訴人に対して認知請求をしないことを約したものとして有効であると解すべきであり、被控訴人の本訴請求はその主張する請求原因事実の有無にかかわらず棄却されるべきである。

と主張した。

四、被控訴代理人は、控訴人の右主張事実を争い、

1  花子は、東京家庭裁判所に申し立てた認知等請求の調停において、控訴人が被控訴人が自己の子であることを否認し調停に出頭しなくなったため、昭和四七年九月一一日目白警察署に控訴人を結婚詐欺であるとして告訴し、同年一二月一二日右調停が不調に帰した後、昭和四八年一月二九日本件訴訟及び控訴人主張の別件訴訟を提起した。そして控訴人は、右告訴事件につき昭和四八年三月一五日東京地方検察庁に出頭を求められていたところ、花子に右告訴を取下げさせて刑事処分を免れようとし、同月一一日花子宅近くの喫茶店で花子に対し、その意思がないのに「被控訴人は認知するし、その養育費と裁判になっているお金も毎月送金するから示談してほしい。」と申し向けて花子を欺罔し、これを誤信した花子をして本件について示談することを承諾させ、同月一三日喫茶店で花子に、さらに信用させるため一〇万円を支払うとともに、自ら内容を口授して乙第二号証の示談書を書かせた上署名押印させ、同月一五日花子を同道して東京地方検察庁に出頭し、右示談書を提出して担当検察官に「子供の将来を考えて認知し、その養育費や借りた金は毎月支払う。」と述べた。そこで花子は右告訴を取下げたのであるが、控訴人は約束に反してその後被控訴人の認知も養育費の支払も全くしていないのである。以上のように花子は、控訴人が被控訴人を認知することを確約したので告訴を取下げたが、一〇万円と引換えに認知請求を断念したことはない。

2  仮に控訴人と花子との間に控訴人主張の合意が成立したとしても、認知請求権は被控訴人の一身に専属する人格権であり、花子はその法定代理人として右請求権を行使する権限を有するに過ぎないから、花子の認知請求をしない旨の意思表示は権限外の行為であって、なんら効力を生ずるものではない。

と述べた。

五、≪証拠関係省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によれば、乙山花子(以下単に花子という)が昭和四五年九月一五日妊娠月数第一〇月で被控訴人を分娩したことが認められ、これに反する証拠はない。

二、そこで、控訴人と被控訴人との間の父子関係の存否について検討する。

1  ≪証拠省略≫を総合すると、花子(昭和一三年一月三〇日生)は美容院に勤める美容師であるが、昭和四二年八月頃控訴人(昭和五年六月一五日生で当時○○○○販売株式会社○○支社営業部員)と知り合い、交際を続けるうちに同年九月頃から両名の間に情交関係が生じ、以後昭和四七年四月まで平均週一回位の割合で情交関係を継続してきたこと、その間花子は被控訴人を出産する前に二回妊娠したが、第一回は昭和四三年四月頃中絶手術を受け、第二回は同年一〇月頃流産し、さらに被控訴人出産後も昭和四六年五月中絶手術を受けたこと、花子は控訴人以外の男性と情交関係をもったことはなく、また花子と控訴人との情交関係時に避妊の方法を講じてはいなかったこと、控訴人は被控訴人の命名について「春子」と「るみ」を考え、花子の意見をきいた上「春子」の命名書を自ら書いて花子のもとに持参し、さらにいずれも花子の届出人名義で、花子の本籍を茨城県○○郡○○町大字○○×××番地の×筆頭者乙山一郎の戸籍から被控訴人の肩書本籍地に分籍する届出をした上、被控訴人の出生の届出を自らしたこと、以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  次に≪証拠省略≫によれば、控訴人、被控訴人及び花子について、血球のもつ抗原を指標として検査する狭義の血液型一〇式、血清のもつ抗原ないし形質を指標として分類される血清型四式、血球に含まれる酵素の多型性を用いて分類される血球酵素型五式、以上合計一九式の血液型検査を行うと、いずれの血液型によっても控訴人と被控訴人との父子関係を否定することができず、控訴人が被控訴人の父たる可能性の程度をみるため、これらの各式について父権肯定確率を計算した上その総合父権肯定確率を計算すると、約九六%というかなり高い値を示し、また花子と被控訴人との各血液型から被控訴人の父としての資格から外れる男性の存在の程度すなわち父権否定確率を計算すると、その総合否定確率は約九八%に達し、血液型検査の結果からすると控訴人が被控訴人の父である可能性(父らしさ)が非常に高いこと、耳垢型及びPTC味覚型の検査、皮膚紋理(指紋、掌紋、足趾紋及び足紋)の検査からは、控訴人と被控訴人との間の父子関係を積極的に証明する証拠は得られないが、少くとも父子関係が存在していても不思議ではなく、顔貌諸特徴の検査からは、右両名の間に眉毛・眼裂の局部的性状、上口唇から口先の形状、耳介の下半、鼻先に著るしい特徴の共有や近似がみられ、父子関係存在の積極的肯定の資料となる程度のものと考えられること、以上の各検査結果を総合すると、法医学上控訴人と被控訴人との間に父子関係が存在するものと推定されることが認められる。

そうすると、花子は被控訴人を受胎した当時控訴人と情交関係があり、控訴人以外の男性との情交関係はなく、控訴人は被控訴人の出生後その命名及び出生の届出について自己の子に対するものとして自然の行動をしており、法医学的にも控訴人と被控訴人との間の父子関係の存在は否定されないばかりでなく、むしろその存在の確率が非常に高いものとされているのであるから、控訴人と被控訴人との間には父子関係が存在するものと認めるのが相当である。

三、控訴人はさらに、昭和四八年三月一三日控訴人と被控訴人の法定代理人である花子との間に、花子が控訴人から一〇万円の支払を受けることによって本件訴訟を取下げる旨の合意が成立し、控訴人は右金員を支払ったので、右合意によって被控訴人が控訴人に対して認知請求をしないことを約したこととなるから、本訴請求は請求原因事実の有無にかかわらず棄却されるべきであると主張する。

しかしながら、≪証拠省略≫によれば、花子が控訴人から一〇万円を受領しかつ本件訴訟を取下げるとの趣旨を含む示談書を作成したことは控訴人主張のとおりであるが、これは控訴人が花子に対し被控訴人を任意認知することを確約したからであることが認められ、この認定に反する≪証拠省略≫は信用しがたく、ほかにこれを覆えすに足る証拠はなく、花子が一〇万円の受領のみで本件訴訟を取下げることを約したものとはいいがたいのみならず、子の父に対する認知請求権は放棄することができないと解すべきである(最高裁判所昭和三七年四月一〇日第三小法廷判決参照)から、控訴人の右主張はいずれにしても理由がない。

四、そうすると、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であって、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林信次 裁判官 滝田薫 桜井敏雄)

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